多摩動物公園の昆虫館には標本室があり、染み込んだナフタリンの匂いに、何百の虫の死体を前に、蛍光灯の人工的な明かりの下で、わたしは思うのだけど、
「イッタイコレハナンナンダ」。
生きているものや死んでいるもの、わたしが生きて見ている間、どうしても命のことから逃げることは出来ないのだなあ。
好きや嫌いや、美味しいや、表現や芸術や数学や、カレーや、ひりつくような焦りや、胸を焼くような恋心や、失ったぽっかりの向こうや、何もない凪ぎの時間や、思い出の舟や、また寄せる繰り返す入り口や出口や、月や、あなたや、わたしや。
「世界中で食べられてきた虫たち」の展示コーナーでアルミのお皿の上に盛り付けられたタガメの死体を見ながらそんなことを考えてちょっとしんみりいたら、
出口の扉の横に「昆虫とはどんな生き物か?」が箇条書きで9つ書いてあり、
主に体の構造やら呼吸の仕方やらそういったなかで、
一番最後にいきなりこう書いてあった。
「昆虫とは本能で生きる生き物です」
わお。
はて人間とは。
本能とは。
「でも」や「だって」がないところの感情、動き。
やっぱり「おへそ」かな。
「でも」本能で動くのはちと怖い。「だって」たくさん失うような気がするし、戻ってこれないかもしれない。
「でも」心と体は切り離すことは出来ない。出来たと思っても必ずガタが来る。「だって」心と体で私なのだ。どちらか一方だけではないのだ。
ほんとうは全部のこと、10文字あれば事足りるんじゃないかなあ。
って思ったり
1つ伝えるために99のピースが必要だったり。
象のダンスを思い出しながらばらの花を口ずさむ。
でももだっても言えるうちが花よね。
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